なぜ、こうなってしまったのか その1

一体何が原因で、こうなってしまったのか。

 

社会で活躍中の同世代の人たちよりも、同じ医学生の大学生よりも遥かに長い時間自分の事について考察を加えなければならない状況を味わってきたし、その時間も潤沢にあった。

 

それを全てここに書き出すことは到底無理な量なのでとりあえず、何故、「卒業試験を突破できなかったのか」について考えていることを書いて行こうと思う。

最初に断っておかなければならない、半分以上というか8、9割くらい自分に原因を探し、考察する事になるのでかなり自分を見知っている人が見ると納得出来ないような偏った思い込みがあるかもしれない。

 

今回の状況に至った原因を2つに分割して考えて見たい。

小学校の頃から実践している処世術の1つ、困難は分割して対処することをここでも実行する。

卒業試験を失敗するためには卒業試験と受験する自分の最低この2つが必要なはず。

自分ファクターと試験ファクターで考えよう。

 

自分ファクター。これは枚挙に暇がない。

これを考えるときに避けては通れない自己考察。

自分はどちらかというと結構真面目な方だと思う。

 

ちょっと話は脱線するが先日、2年生の後輩と出会って立ち話をしたのだが、彼は近くの進学校でこの前まで生徒会長を務めるほど優秀な高校生だったのだが3年生への進級は諦めた、とのことだった。もちろん浪人もしていない彼のこと、人生で足踏みをする機会はこれまでなかったはず、一体どうしたんだ?と聞いたら「どうも、やる気が出ないんです」と一言。

この医学生という業界では、無気力は大敵であり、無気力症に罹患してしまう人は結構いる。やる量が想像を超えてくるほど多いのも原因の1つであるとは思う。

 

話を元に戻すと、自分の大学生活で最後の3年間は特にこの無気力症に感染してしまうリスクしかない充満した環境で過ごしていたが気力でそのリスクを克服しようと努力し続けたし、やってこれたと思えるほど真面目ではあると思う。

1年やるだけでも嫌な国試勉強をこれだけ立て続けにやって、模試ではそこそこの成績を維持しているのだから不真面目だとは思いたくはない。

まぁ確かにこんな事になって、そもそも勉強している、と思っていた時間、本当に勉強していたのか、ひょっとしたら勉強しているという妄想をして数年過ごして来ただけで真面目に努力して来たと思っているのは本人だけというパターンも疑わざるを得ない状況(というかこんな状況になると最早自分の感覚が何も信じられなくなります)ではあるけれども。

「もしお前がこの数年、何もせずただ机に座ってただけだとしてもひでえ話だから怒ってもいいぞ」と言って下さる優しい隣人のお陰で少し気は楽になったが一時期は本当に信じるものがなくなりそうだった。

 

何の話をしていたか分からなくなるくらい話が膨らんでしまったが、何を言いたかったかというと、気力がなくなったため、この事態になってしまったわけではない、という事である。

何故この世界に入ったのか志望理由書を書けと言われると今でもスラスラ原稿用紙1枚分くらい書けるくらいには真っ当な理由を持って医学に飛び込んで来たし、ここにくるまで浪人生活も含めると尋常じゃない時間と努力と親の援助をつぎ込んでやって来ている。

 

この記事を書こうと決めてから自分ファクタのことをあれやこれや考えていたけれど、本当に、ただ単純に数点分選ぶ知識が欠落していた、という事に尽きるような気がしている。

1年前、勉強グループに入れてもらってみんなで勉強しているとき、みんな疑問に思うところ、苦手としているところ、間違える問題等々そこまで差がないことを実感していたし、自分より数問多く当てて卒業試験を突破したその仲間たちは今立派に研修医として働いている。彼らと何が違うのかと聞かれるとやはり数問分、選ぶための知識が欠落していた、その知識を埋める勉強が足りなかったということだろうか。

 

医学教育の教授がドヤ顔で公表する資料によると多浪だったり年齢が上だったりすると留年のリスクが有意に高いらしいがまぁ確かに、年齢による記憶力低下も一理あるかもしれない。ここを見てくださっている方々が今おいくつなのかは存じあげないが高校生の頃と今で記憶力を比較してみると多くの方が過去の方がよかったと答えるだろう。1に暗記、2に暗記、の医学教育で記憶力というのは最大の武器であると言っても過言ではない。記憶力に自信がない人はその分勉強時間を多くして補えばいい、それで事足りる。なので自分は記憶力低下を理由にはあまり挙げようと思わない。それを補うべく相当な時間をかけたはずなので。

 

あと考えられるのはやはり、同じ試験を受ける人達を周りに感じる環境に身を置けなかったということだろう。個人プレイの人にとっては別に誰といようが、勉強部屋だろうがカフェだろうが関係ないかもしれない。でもそうじゃない大部分の人たちは興味のある分野をやっている事には間違いないが量が尋常じゃない上重箱の隅をつつくような問題の羅列を朝から晩まで勉強していると流石に嫌にもなってくる。

そんな時、お互い勉強している姿を見ながら意欲を保ち受験生活を乗り切るというのが楽に勉強できる1つのテクニックであると思う。それに同じ試験を受ける人たちが何を勉強しているのか知る事は結構大切だし心の安定も得る事ができる。

趣味で受験生のような勉強づくしの生活を送りたいと思っている人以外はメリットの方が大きいのではないか。

個人プレーヤーでもないのにそんな環境しか用意できなかったのはやはり要因の1つだろう。経歴がこうなってくるとそんな環境を用意すること事態かなりハードルが上がってしまうのが辛いところである。

 

自分ファクターは間違いなくまだまだある。

それは人生の問題でありこれから先、よりよく生きるために自分が克服しなければいけない問題も含まれているように思う。

 

とりあえず今日はこのくらいにして次回はもう1つの側面、試験ファクターを考えて見たいと思う。

 

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