救済なのか否か

年末から年明け、勉強尽くしの人生の中で1番勉強できる喜びを噛みしめた期間だったと今振り返っても思う。

 

このブログを立ち上げた時、大学に訴えつつももしもの時に備え買った私立の赤本や古本屋を駆け回り集めた大学受験本の数々を部屋の隅に寄せてまた医学書を手に取ることのできる喜び。使い慣れた医学書をこんなに喜んで見る学生は他にいないのではないか、そう思った。

 

その再入学試験の試験範囲等詳しいことは何も分からなかった、何しろ史上初だったので過去問もあるはずがなかったから。

ただ風の噂で「卒業試験合格相当の学力」が条件であるとの事くらいの情報は得られた。

説明してくれる大学の学務も教授も説明に苦渋していた、まだ存在しない試験問題の範囲など誰にもわからない、受験する資格のあるものが受験を申請し受理されて初めて試験問題作成委員会が立ち上がる、どうもそこで決まるらしい。

卒業試験合格相当ということは国語数学理科社会ではないとの事でかなりホッとした。

 

チャンスをもらったからにはものにしないと全く意味がない。何をどのように勉強するのか、ここでの戦略がまさに生死を分けるだろうから本気で考えた。

 

まず確実にやるべきなのは卒業試験対策だと思われた、試験問題作成委員会がどのくらいの規模なのか、どのくらい気合いを入れて作ってくるのか全くわからないがとりあえず自分が問題作成委員会の委員に選ばれたら例年の卒業試験問題を研究もしくは引用してくるだろう、と。

この試験、どういう人が受験するのか、もし点数が足りないとどうなるのかわかって作るだろうし斬新な問題作って遊ぶような酷いことするようならもうそれはその時だ、その時は諦めるしかない、そう覚悟した。

 

試験までそんなに時間がない、国試を受験した事はなかったが国試を受験する人並みかそれ以上の勢いで日々過ごした。

この措置が本当に救済するためのものなのか、とりあえず救済するために大学側は努力したが学生の学力不足で入学意欲を評価できなかった、仕方ないよね、訴訟しても意味ないよーという大学側の免罪符なのかその時は誰にもわからなかった。