コスパ最低の僕が語るコスパ論
すっかり放置気味のブログだけどときどき覗きにきてくださる方がいらっしゃるらしい。
そして同じような立場で困っている人も結構いらっしゃることをこのブログを始めて知った。
ときどきは今思っていることを書き連ねて残していくことにしようと思う。
最近というかちょっと前からコスパっていう言葉を日常でもよく聞く。
コストパフォーマンスっていう経済用語?らしいけどもっぱらやりがいとか時間対効果みたいな意味で使われることが多い見たい。
ちなみに自分はその辺の人間を集めて比べても群を抜いて低い人生コスパだと思ってる。
高校を卒業してから大学に入るまでに何度も1点2点の壁に阻まれ浪人をして、そしてこのブログを立ち上げる経緯になった卒業試験も数パーセント足りないために1年時間が止まる世界で生きてきた。
たしかにその1年、足りない点数を上げるためだけに費やしてほかに経験しなかったかというとそういうわけでもないから厳密には1点2点上げるためだけの1年間ってわけじゃないかもしれない、でも1点2点あれば過ごさずに済んだはずのストレスフルな期間だったことは間違いない。
数えたくもないけど「あと一歩」のために費やした時間は数知れず、そういう意味でコスパは最底辺にあると思っている。それが幸せか不幸せかはまた別だとは思うけど。
どうしたらコスパが高いことができるのか、ときどき考えている。
いろいろ考えてはみるのだけど、コスパは試験を突破しなきゃいけない環境に身を置いている限り議論しても意味ないんじゃないかという結論いつもにたどり着く。
コスパの高い勉強法、っていうとすごく響きがいい。でるところをピンポイントに、必要なものを必要なものだけみたいにすごく効率がよくスタイリッシュ、カッコよさすら感じる。
ただ案外そういうものは頭に残らないし点数につながらないことが多い。1年に1度の試験をうけるのにコスパという観点だけで勉強すると結果は本当に博打になる。
大学受験、医学生という観点で語られるコスパは多分他の人が見ると笑えるほど大したことない自己満の小さなものなんじゃないか、そしてそんなつまらないこと言ってないで暗記しろよ!って突っ込まれそうだし自分で突っ込んで自分の中でコスパについて考えるのをやめてしまう。
同じような過酷な環境で暮らしている同志の中でコスパについて答えを持っている方は是非ともご教授願いたい。
ようはコスパなんて今は存在しない、そう信じて生きるしかない
地味に努力こそがきっと唯一の解決法だと信じて
1回生6年として
入学式、気づいたら終わってたくらいに自分にとってはただの儀式でしかなかった。
春から気分一新、とりあえず6年生に戻れた。ただ条件は退学する前とほとんど何も変わっていない、今年はさらにこれまでに比べ情報が入ってこないだろう。卒業試験を受けるまでにいかに基礎力を養えるか、それが大切だと確信していたため入学を喜んでいる暇がなかった。
とりあえずマンネリを打破し新たな気持ちで始めるためにも教材を一新すべきだと考え、medu4を取ることにした。
この業界にいる方は名前を聞いたことがあるかもしれない、簡単に説明するとネット配信の医師国家試験通信予備校である。
medu4を選んだのにはいくつか理由があるが1番は再入学試験を合格に導いてくれたと言っても過言ではない国試究極mapを受講した際に感じた相性の良さだと思う。
自大学は随分とTECOM信仰が厚く、周りと違ったことをすると落ちると口酸っぱく言われ続ける医学部独特?の空気の中過ごしてきたのでTECOMを信じてやってきたのだけど板書とテキストがそもそもあってなかった。
(あってないと気づいたのはmedu4に出会ってからだったが)
あとmedu4の電子ノートを推奨している点もガジェット好きな自分の感覚に近いものがあった。
医師国家試験の勉強は膨大な量をこなさなければならないためテキストだけでも結構な量になる。
結構多くの医学生は国試勉強のために本棚を新調し机の横に設置するところから国試勉強をスタートさせる。
決まった勉強部屋、勉強スペースがあるのならそれでもよかったのかもしれない、ただ自分には大学にはその場所が支給されなかったし要求もしなかった。なんとなく大学に居場所がない、そう感じていたから。
決まった勉強場所がない以上、教材を含め持ち運びやすさは結構重要だったため電子化はもはや必須だったといま振り返ると思う。iPadに収まる教材には本当に助けられた。
教材を決め、夏までにメジャー診療科を終えるための大まかなスケジュールを立て、自習することにした。
一緒に入学した同級生と会うことも喋る事も、そして見る事もない孤独な大学生活がスタートした。
退学から再入学試験受験まで
長らく居座った大学を自主退学し、とうとう高校卒業当時の身分に戻って再入学試験を受験するまで3ヶ月もなかった。
世間はクリスマス、年末年始と慌ただしくどことなくキラキラした季節。
自分と自分の周囲はその慌ただしさとは大分色合いの違う空気が流れていた。
再入学試験について色々と説明を受けたがこの身分のまま入学を夢見て勉強を何年も続けることなど過去様々な試験という試験を経験してきた自分でさえ想像を絶する熾烈なものになるから絶対に避けなければならない状況だと認識していた。
やはり過去問も存在しない第1回の試験とは言っても大学の試験、卒業試験を参考にしないわけは無いだろうから卒業試験、特に最後に受けた卒業試験をとくに厚く演習することにした。
全く試験問題、出題傾向が分からない試験のために勉強したこの期間、過去問のある試験がいかにありがたいものなのか再認識した。
時期的に医師国家試験も直前期で国試向けの講座もすでに取っていたので全ての知識の総まとめとしてmedu4の国試究極MAPを受講して知識の抜けをチェックすることにした。
究極MAPは診療科毎に1ページ使い、国試の過去出題され必要だった知識を網羅的にまとめたもので一見するとただ小さな文字がびっしり詰まった情報量の多いテキストなのだが、計算されて配置され1ページ上で完結しているため疾患毎の関係も一目瞭然で、まさに名前通り俯瞰してみる街の地図のようだった。
掲載されコマ数も動画視聴期間も短いのでお祈り程度なのかなぁとそこまで期待してなかったのだけどこれが自分にとって知識を整理していく基盤になっていくとはその時想像もしてなかった。
トマト、パプリカ、ピーマン、いちごの勉強をしたとする。
それぞれの産地や栽培に適した気温、気候、味の特徴を調べて完璧に暗記して勉強完了とするだろう。
4品なら混同しないし多少知識が飛んだ頃思い出しても対応できるかもしれない。
これが10、いや100、もっと500に増えたら。。。。パプリカとピーマンを混同するどころかトマトといちごの内容をごちゃ混ぜにしてもおかしくない状況も想像に容易い。
なるべく混同するリスクを軽減させるためにもグルーピングがとても有効になる。
MAPは知識の羅列になりがちな頭の中をまず食べ物というグループの中にトマト、パプリカ、ピーマン、いちごがあり、全て野菜。パプリカとピーマンの違いは・・・・のように整理の手助けをしてくれた。
整理されているとじゃあ野菜とくだものの違いは何だろうとかこれまで思いもしなかった、見たこともない切り口の違う出題に対しても冷静に対処できる(かもしれない)
国試直前講習を大学入学のために使い試験まで淡々と勉強する日々だった。
近所の市立図書館で高校生が赤本を広げ勉強しているのを見て、これまで必死にやってきたけど自分も彼らと何ら変わらない状況なんだよなぁ、と感傷に浸ることもあったけど、ただ淡々と続けた。
試験当日、快晴。
とりあえず全てぶつけられた、そう思えるくらいに出し切った。
問題は残念ながら手抜きも温情もない、ピカピカの新作問題でどちらかというと難化しているようにも思えた。
試験が終わった瞬間、手応えとかそういうもの以上の、やりきってやったという達成感を強く感じたのを今でも覚えている。
結果は合格。4月から大学生に戻れることが決定した。
合格発表は掲示され発表されたがそこには自分の番号しかなく、大学の冷酷さをここでも実感した
根拠のない自信が救う自己肯定感
人間誰しも大きい小さいの違いはあれど困難を突破したり結果を出すため全力を尽くす、という経験があるのではないかと思う。
きっとこのブログを読んでくれている人は努力をして困難を突破する機会が多々ある人ばかりではないだろうか。
医学部に入って、自分の思っていた限界をかなり上回って要求される事が多く、結果としてキャパが鍛えられたような気はしている。来週までに全身の骨と筋肉の名前覚えてきてね、もちろん日本語と英語どちらも!など、以前の自分だったらそんなの無理だよって挑戦すらしなかった事も為せば成る精神で幾度も突破してきた。
そんな試験漬けの日々を送るうちに仮定から確信に変わった理論の1つに試験勉強する際の心の持ちようが結果に大きく影響するというものがある。
よくよく考えてみなくても当たり前のことなのかもしれない、一流のアスリートが0.1秒の世界で闘う際に「もしもダメだったらどうしよう」と考えながら世界の強豪たちと戦って勝てるのかと考えれば容易く想像できる。きっと金メダルを絶対に取ってやる、取れる!と信じなければいい結果を出すのはかなり難しいだろう。
再試験を受験してまでただでさえ少ない自由時間を潰そうという勉強大好き人間ではなかったので本試験で終わらせたい。
絶対にやり遂げられる!という精神状態で挑めるよう準備する事が最大の試験対策だと思っている。
ただ何事も万全の対策、準備というのはなかなかに難しい。限られた準備時間の中でやるだけの事をやった(完璧ではないが)という状況で戦わなければならない試験ばかりだった、実際には。
なので直前に弱気になってしまわないよう「頑張ったのだからきっと大丈夫!」という十分条件には程遠い根拠のない自信でブーストをかけていた。
目標達成のために頑張ろう!→頑張ったけど不安だな、試験大丈夫かな→いや、こんなにやったんだ、大丈夫に違いない
前回、失敗した際に原因を考察した際危機意識の欠如となると書いたのはこの思考回路が原因である。
上の思考回路で頑張り方を除外すると反省する点は唯一こんなにやったと思い込んでいるという事だけになるから。
この回路自体間違ってないしきっとこれに頼っている人も多いと思う。
成功体験が積み重なっていくとこの思考回路がかなりの効力を発揮する。
この前も大丈夫だったんだ、今回もきっと大丈夫!こんな感じで。
絶好調だった高校時代まで自分がまさにこの状況だったからよくわかる。成功が成功を呼ぶ。まさに成功の連鎖である。
自己肯定感も右肩上がりで無敵状態。性格はちょっと悪くなる恐れあるが学力はかなり伸びる好条件である。
逆にこの思考回路で失敗が続くとどうなるのか。。
不安を打ち消すのも一苦労するほど不安が増大するのはもちろん、自分が本当に努力したのか、勉強できていたのかというところも疑い始め信用できなくなって、、、負の連鎖の始まりである。
ここ数年その状況だった、全く自己肯定感もなく、気晴らしをすると一時は楽しいがあとで罪悪感を運んでくるので気晴らしするのも億劫だった。
そんな中、最後のチャンスをもらった自分が何を考え何をやったのか書いてみようと思う
危機意識の欠如?
高校卒業後の長い浪人生活、大学生活の中で数々の試験、試練を乗り越える際に数々の失敗をしてきた。
失敗をして2度と同じ失敗をしないようになぜ失敗したのか、原因は一体何かをその都度考えるようにしている。失敗を失敗で放置するのはただのアホ、失敗から学んでこそ人間だと教わってきたし、何より失敗すると色々失う。信頼だったり友人だったり、時間だったり。。。結構これらは取り返しがつかなかったりするから厄介である。
これまでの失敗の反省例を振り返ってみると「危機意識が足りなかった」となる事が多かった。
自分の危機意識不足は「敵を侮って対策を怠っていた、対策不足だった」というよりも「失敗したくない一心で必死にやったのにうまくいかなかった、やる事はやったのだが。。。強いて挙げるとするならやはりもっと必死になる必要があった、5時間睡眠を4時間にするくらいの気合が不足していた」。。こう言った感じである。
もちろん考察が間違っているから繰り返すのではないか、そういう疑念を抱かなかった訳ではない。
ただいつもボーダーライン上に集中する試験で数点で落ちる事の多かった経歴からも今振り返ってみてもこの自己考察は強ち勘違いではないと思っている、気合いで突破できる範囲で消耗していた。
いわゆる要領のいい、賢いと言われる友人知人は危機意識がすごかった。
試験に合格は最低条件。平均よりも、あの人よりも、学年でトップ10以内じゃないと見たいな感じで目標が高い分常に危機意識を持って対処していたように自分には見えた。
そう思えていたし、自分は地味に真面目だったので試験の度に追い詰めてしまっていた、適度な緊張感どころではないレベルで。
2年生や4年生の時期は本当に辛かった、楽しいと思っていいはずの勉強が凄く苦痛だった、ただ苦痛でも手を緩めず自分を律してやってきた、それが成功への唯一の道だと信じていたから。
なぜそれでも毎回危機意識不足が原因という結論に至るのか。
日々考え最近尤もらしいと思えている自説はずばり「自己肯定感の低下」である。
1記事にまとめるには長くなりそうなので次回に続けることにしようと思う
救済なのか否か
年末から年明け、勉強尽くしの人生の中で1番勉強できる喜びを噛みしめた期間だったと今振り返っても思う。
このブログを立ち上げた時、大学に訴えつつももしもの時に備え買った私立の赤本や古本屋を駆け回り集めた大学受験本の数々を部屋の隅に寄せてまた医学書を手に取ることのできる喜び。使い慣れた医学書をこんなに喜んで見る学生は他にいないのではないか、そう思った。
その再入学試験の試験範囲等詳しいことは何も分からなかった、何しろ史上初だったので過去問もあるはずがなかったから。
ただ風の噂で「卒業試験合格相当の学力」が条件であるとの事くらいの情報は得られた。
説明してくれる大学の学務も教授も説明に苦渋していた、まだ存在しない試験問題の範囲など誰にもわからない、受験する資格のあるものが受験を申請し受理されて初めて試験問題作成委員会が立ち上がる、どうもそこで決まるらしい。
卒業試験合格相当ということは国語数学理科社会ではないとの事でかなりホッとした。
チャンスをもらったからにはものにしないと全く意味がない。何をどのように勉強するのか、ここでの戦略がまさに生死を分けるだろうから本気で考えた。
まず確実にやるべきなのは卒業試験対策だと思われた、試験問題作成委員会がどのくらいの規模なのか、どのくらい気合いを入れて作ってくるのか全くわからないがとりあえず自分が問題作成委員会の委員に選ばれたら例年の卒業試験問題を研究もしくは引用してくるだろう、と。
この試験、どういう人が受験するのか、もし点数が足りないとどうなるのかわかって作るだろうし斬新な問題作って遊ぶような酷いことするようならもうそれはその時だ、その時は諦めるしかない、そう覚悟した。
試験までそんなに時間がない、国試を受験した事はなかったが国試を受験する人並みかそれ以上の勢いで日々過ごした。
この措置が本当に救済するためのものなのか、とりあえず救済するために大学側は努力したが学生の学力不足で入学意欲を評価できなかった、仕方ないよね、訴訟しても意味ないよーという大学側の免罪符なのかその時は誰にもわからなかった。
高卒になった経緯
結論から先に言うと、大学からかかってきた電話は学長に直談判しか残されていないそのときの自分にとっては願ってもいない提案だった。
今回の件、卒業試験以外全て履修済みであることも鑑みこれまでの放校処分に該当するケースとは異なる。学則にある高学年で大学を辞めざるを得なかった人に対し退学したときから2年以内は退学時の学年に再入学を認めると言う以前からある決まりを医学部として初めて適応する事に決まった、との旨を伝える面談だった。
寝耳に水だった、このブログにも書き連ねたように突然変わった卒業試験の制度、そのために6年生を繰り返さざるを得なかったこの大学初と思われる自分のケース。
もちろん言いたいことは色々あったし大学の処分が正当だとは思わなかったから戦ってきたのだけど、これまで放校処分になった留年生を見てきたし繰り返す6年生の期間特に何も手を差し伸べることもなく放置だったし、、、骨を折って新しく制度を作ってくれるだなんて微塵も考えなかったから、この大学が。
聞いた時は本当に嬉しかった、今でも昨日のことのように覚えている。
自分が取ることのできる選択肢は2つ。
1つはこのまま何もせず3月末を迎える。この場合は大学の規定により在留資格がないため放校となりこれまで取得した単位は消える。
もう1つは自主的に退学し、今回の制度を利用する。2018年4月の入学を希望する場合は3月受験、3月の試験を受けるためには受験申請を2月に提出しなければならずその時には退学していることが条件。退学の手続きもあるので年末までに退学することが望ましいとの事。
予備校の寮に入ってようやく突破した大学入試、入学してからこの日までの試験漬けだった日々。
走馬灯のようにいろいろな思い出が巡って流石にちょっと手が震えながら退学届にサイン、医学の道へ戻る可能性にかける方を選んだ。